1958-09-26 第29回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号
けれども、日本人夫婦が二人かせいでいるとか、もう一つは主人の方が非常に優秀な技術者、ことに大連地区に残ってくれないかというふうに中国側から言われて、それに賛成して残った大連地区に住んでいた方というのは、非常に高紙技術者です。もう待遇も非常にいいものです。どちらかといいますと、中国の普通の技術者さんよりもずっと裕福な生活をしているわけなんです。
けれども、日本人夫婦が二人かせいでいるとか、もう一つは主人の方が非常に優秀な技術者、ことに大連地区に残ってくれないかというふうに中国側から言われて、それに賛成して残った大連地区に住んでいた方というのは、非常に高紙技術者です。もう待遇も非常にいいものです。どちらかといいますと、中国の普通の技術者さんよりもずっと裕福な生活をしているわけなんです。
終戦以来今日まで約十年間、大連地区からは、昭和二十二年、二十三年、三十四年と、三回にわたりましてソ連堀司令部の手によつて引揚者は引揚げておりました。家族、子供を含めまして約千名がその後残つたわけでございます。そこで、われわれこの千名は一昨年の十二月二日に、新華日報により、帰国希望者は帰ることができるということを知り、ほとんど全部約九百五十名の人々が帰国申請をしたわけであります。
李徳全先生から九百人というお話があつたそうでありますが、先ほど申し上げました通り、旅大地区には約千人おりまして、その当時、大連地区ならば、残りたいと希望しておる方が十五名、家族、子供を加えて約五十名であつたわけであります。
昨年大連地区における千名の集団引揚げにつきましては詳しく申し上げました通りでありますが、その後われわれは十一月二日に、あなた方はこの次は帰れない、並びに大連地区に出張その他で来た人もやはり出張しているために帰れない、だから結局あなた方は引揚げの可能な条件をつくるために旅大地区を離れなければならないということを言われたわけであります。
○臼井委員 そういたしますと、従来問題になつておりました外地のうち、関東州、特に大連地区あたりで預け入れた分で未払いの分につきましては、やはりこの率で割もどされるというふうに承知するのでありますが、ただ、それ以前に今日まで大連地区以外の外地ですでに払いもどされておるように大体承知しております。
まだ、私どもの知るところでは、旅順、大連地区等に相当の人がおる、四千人か五千人くらいの人がおるのではないかと推測をされるのでありますが、突然集団帰国を打切られたという通報を受けたのであります。これがどういう意図であるものか、あるいは何かということは、想像も実はできてないような次第であります。
他方また旅順大連地区の日本人が奥地の方に移動させられているという情報もありまして、われわれといたしましては、これらの人たちが早い機会に帰国できるようにとりはからいたいのでございますが、いまなおこの問題について中国紅十字会と積極的に交渉する段取りになつていないのでございます。
それは例外の問題として失業をした人、あるいは自由人として社会の中におられる人、こういう人はいるわけでありまして、そういう人々はその人々の能力に応じて楽な生活をしている人もあり、あるいは非常に苦しい生活をしなければならない人もおるわけでありますが、ただいま申し上げましたように奥地の方に移転させられたという、たとえば旅順、大連地区から重慶あるいは太原そのほかの地区へ移動させられたというようなことが載つておりますが
○竹村委員 先ほどの苫米地さんの質問で、その団体によつて、これは借入と認めるとか認めないとかいうような御答弁がありましたので、その点を少しはつきりお伺いしておきたいのでございますが、たとえば大連地区において、大連におけるところのあの接収後におきましては、大体日本の外務省やその他のものは、いろいろな民主団体等が起つて、そういう民主団体等が自主的に日本の出先から——一応その当時の出先が力がなくなつて来た
それでは留守家族代表者として、在外同胞帰還促進全国協議会情報部長津布久知男君、日本健青会中央執行委員崎山稔君、宮城県留守家族同盟事務局長立花榮子君、大連地区抑留者の留守家族として中村依子君の四名を参考人として招致し、事情を聴取することにいたします。委員長において早速その手続をとることにいたします。(発言する者あり) —————————————
○中村参考人 大連地区の状況につきましては、私はちようど終戰の年に女学校を卒業しましたので、あまり当時のことはわからないのですけれども、ただいま大連には約千二百名ほど残つておるとされております。その大半は皆その道の優秀な技術者の方ばかりで、中共側としてはその技術を利用するために、ぜひ残つてもらいたい意向らしく、一昨年大連地区引揚げがありましたときに強制的に残された人たちなのです。
○若林委員長 中村さんは御説明を願いませんでも、大連地区に抑留されておられます留守家族の方でございますから。別に何もありませんね。
その中の、満洲の大体日本人分布の状況を簡單に申しますと、瀋陽地区、奉天地区でございますが、これが約八千名、通化地区が約千六百名、間島地区が千三百名、牡丹江地区が約九百名、東安地区が二千八百名、三江地区が約三千名、龍江地区が千六百名、浜江地区が三千五百名、錦州地区が二百七十名、その他熱河地区に四百名、安東地区で三千名、黒河地区に五十名、吉林地区の三千名、興安地区の千六百名、北安地区の千名、旅順、大連地区
その後命懸けの脱出というものが若干ございましたけれども昭和二十四年、昨年の九月、千百二十七名の邦人がソ連の配船要求によつて大連地区から帰つたことは御承知の通りでございます。
一例をお話しますと、私がおりましたころでも、ある旅行者が政府の命令を受けて、大連地区に旋行した。そうしますと、その人が帰つて、おい、引揚げがあるようなうわさがあるのだ。ただこれだけを言つたために、満洲地区では全般的にもうそれが響いてしまつた。もう帰れるのだ、仕事なんかやめて、たいがいにしておいて、帰ることに專念しよう。
それから間島地区が約千三百名、牡丹江地区が約千九百名、東安地区が約二千八百名、三河地区が約三千名ないし四千七百名、龍江地区が約午六百名、浜江地区が約三千五百名、錦州地区が約二百七十名、熱河地区が約四百名、安東地区が約三千名、黒河地区が五十名、吉林地区が三千名、興安地区が千六百名、北安地区が千名、族順、大連地区が約千二百名、こういうことになつております。
○小林(信)委員 伺うところによれば、大連地区とか、あるいは上海、香港各地で中共の態勢というものがまちまちであるようで、帰すとも帰さぬともはつきりしておらぬ。
もつと具体的に申し上げますと、たとえば前のときには大連地区からの引揚げはゼロになつておつた。ところがそれから二千何ぼ帰つて来た。そういたしますと今度は大連地区の引揚げ基本数というものがふえているというようなことになつているのてございます。もちろんこれも推定に基く数字だということを先ほども仰せられておりますので、詳しくは聞きませんけれども、こういう点を私非常に疑問に思うのでございます。
大連地区とは、ソ連はあくまで日本人を帰してやろう、中共はどうしてもこれをとどめようとする。その一例を申し上げますと、一昨年、二十三年の七月に第二回の引揚げがございました。そのときに帰るということを言明した医者十七名、これが突然夜中に中共の自動車によつて拉致されました。泣き叫ぶ子供を、あたかも荷物のごとくトラックにほうり込みまして、一部分は法院の下に監禁いたしました。
こういうことから見ますと、ソ連はやはり——ソ連地区は私は存じませんが、中共地区、大連地区におきましては、ソ連は帰していいという考えがあるのじやないかと思います。私もゲルフアノフにそう言いました。あなたの国にはお医者さんがいるでしよう。にもかかわらず、私みたいな日本人の、医者をつかまえてどうしますか。
もとより支那の国民性から行きまして、私もかつて大連地区にも住んでおりましたので、よくあちらの事情も知つております。それだけに非常に心配をするものでありまするが、そうしたものを引揚げさせるということについて、あなたのお考えになつておることで、どういう手を打つことが最善であると思われますか、この点をお伺いしておきたいと思います。
いわゆる大連地区におきましては区長であります。その区長は市長の任命する区長であつたのであります。市長は大連におきましては官吏であつたのであります。いわゆる大連市長の命ずる区長の下に分区長があり、その分区長の下に班長というようなものがあつたのであります。
○千田正君 抑留後におけるところのソ連領内外への移動状況ということが、相当数の問題に関係する問題であるから、これはソ連領土内からいわゆる友満洲地区、或いは旅順、大連地区、その他の領土に移動したということを聞いたことがあるか、或いは見たことがあるかという点について、各証人の中にそれを御存じの方があつたら証言して頂きたい、これが私の質問であります。
○政府委員(倭島英二君) ちよつとここにはつきりした数字を持つて来なかつたのですが、最近大連地区から帰られた方、或いは今年の引揚のときに千島、樺太の方から帰られれた方の例を申上げますと、千島、樺太の方でははつきりした数字を実は持つて来ませんでしたから、又後で申上げますが、大体樺太の方の関係では九割くらいあつちで情報が得られない。
また第二の点につきましては種々御答弁がございましたが、しかしながらシベリヤ地区その他大連地区等の基本数字につきましては、こういうことがあるということを、いわゆる速記録にありますそのままを引用して、あたかもシベリヤ地区、その他の問題についても、幾ら帰つて来ても数が減らないというそういつた印象を與えることは、まことにけしからぬと私は思うのでございます。
それから第二の点のいわゆる数の問題についてでございますが、大連地区はソ連地区に入るかどうかという御質問でありましたが、大連地区はソ連地区に入つております、これは外務省から私どもに配付されたこの表を見ましても、明らかあります。しかし今日未帰還の残留者が残つておりますのは、満州地区とソ連地区だけでありまして、その他の方面は全部残留者ゼロということになつております。
また今年の九月二十三日に、大連地区から高砂丸でこれこれ、山澄丸でこれこれ帰つて来ておりますということに続きまして、「今日残留者があるのは満州地区かソ連地区だけでありますが、ところがこの数字は、満州地区から帰つて来たことにはなつておりません。
また今年の九月二十三日に、大連地区から、高砂丸で千百二十七人帰つて参りました。十月三日、山澄丸で千七百三十四人帰つて来ております。両方合せまして二千八百余人になるのでありますが、これは政府の発表する数字によりますと、大連地区には、もはや残留者が一人もおらないということになつております。
労働者の給與は、その五〇%の者は平均月一万一千円程度であり、本人並びに家族の生活はどうやら維持されているという程度でありまして、殊に大連地区におきましては二回に亘る平価の切下げ及び公有化された企業体の生産回復に伴いまして、物価も漸落の傾向を辿りつつありますので、食生活はどうやら安定の緒に着いたと見受けられまするが、娯楽の面はこれに比べまして概して低調であるという実情でございます。
ゆえにその中に捕虜でない一般邦人が大連地区並びに樺太地区から引揚げて来たのでございますから、先方の意思表示に従つて正、確にそれを差引けば、その間さいぜん申し上げた六人程度の数の食い違いでなくて、もつと差がたくさんつくというような意味でございます。その数はただいまここに持ち合せがありませんので、それを差引けばどれだけ差が出るかについては、後刻御答弁申し上げてもよろしゆうございます。
但し私たち政府といたしましては、樺太の帰還者並びに大連地区の一般邦人の帰還者は、実は九万五千の中には入つていないというように解釈しておつたのでございます。